昭和48年春、丹后半岛の若狭湾口にある経ケ岬灯台では、裸豆石廓崎灯台への転勤を控えた藤田芳明の送别会が行なわれていた。妻、朝子、子供たち、部下の长尾猛、海上保安学校を卒业したばかりの大门敬二郎も揃い、和やかな集いだった。引越を教日后に控え慌しい一家のもとに、芳明の父、邦夫が山梨から访ねて来た。邦夫は芳明の赴任地へやって来ては、その地方の名所や寺院を见物し记念写真におさめるのを楽しみにしている。邦夫は伊豆まで同行したいと言いだし、このため朝子と子供たちは新干线を利用し、芳明は邦夫と见物かたがた车で行くことになった。